今井町公民館 ー「ミチコオノ日記」読者集会所ー

旧称:「ミチコオノ日記」読者日記もしくは私的ファンサイト

ガイドのいない夜  ~  大貫サリーさんの「月」第一章を読み終えて  

こんばんはこんにちわおはようございます。

 

夏 バテオです。

 

この記事は、

大貫サリーさんの「月」の感想です。

はてなブログでは「オノミチコ」

そして公民館では「御大」である人の。

 

「月」の登場人物である「大貫サリー」と、

「月」の作者の名前である、大貫サリーさんの距離感が、

「ミチコオノ日記」のそれと、違うのかどうか

まだ見えていないので、以降、「作者さん」と

呼ばせて頂きます。

 

第一章を読み終わりました。

 

そして、僕はこの「絵物語」を深夜にかぎり、

読むというか浸ることにしました。

 

一方的に「真夜中の友だち」と、決めてしまいました。

 

色がついている話もあって、一気に画面が説得力を増すのも良いのですが、

シンプルな線で描かれた、夜の画面の

静けさが落ち着きます。

 

今のところ、主な舞台というか、場所というか、位置というか、そこが、

角を曲がって、万年塀沿いに歩いて、道が途切れるとこ(壁はないよう

なので、行き止まりという言葉を使わずに済んだので良かった)の鉄板の上の

二段ベッドです。

 

夜のはしっこ、という感じがします。

良い感じです。

 

僕はこのなかに入れないので、

遠まきに、双眼鏡で見ています。

 

「カラシの喪失感は切ないので、救われた方がいいと思う」し、

「柳さんは精霊ということなので、成仏するということはないと思う」し、

「月ちゃんがお兄ちゃんと再会する」物語だと想像するのだけれど、

 

「ヘーカが記憶を取り戻し」

「Ayaさんの夢遊病が治り」

「サリーがエア水泳しなくなる」物語になるのかなあ。

 

少しのあいだ、得られた調和が、

登場人物たちが救われることで消えてしまう、

としたら寂しいとも思う。

 

二段ベッドには、

「普通」とか「常識」という

「暴力的な何か」が無くて、

基準からずれている人たちの幸福な調和があるように

見えるのだけれど。

 

Ayaさんは、夢遊病ということになっているけど、

僕には「病気」には見えない。

 

同調圧力とか個人を浸食する余計なものを

意識せずにスルーできる「能力」だと思う。

一方的に世間の方が標準を持っているのではなくて、

独自の世界地図や世界観があった方が良いと思う。

コンビニ行くのに難儀するだろうけど、

職場には行けてるし。

 

「あらすじ」には、

「のんびりと少し不思議な夜の話」

「小さな田舎の物語が少しだけ動きはじめる」

と、あるので、

のんびりとのんびりと、なるべく少しだけ少しだけを期待しています。

僕の勝手な思い込みですが、

「ガイドのいない夜」的な不思議な感触 に浸っていたいです。

 

あと、「作者さん」に関して、

僕が推測している事があります。

 

なかなか言葉にしづらくて、昨晩はあきらめました。

そして、床に入って、就寝前の読書をしていたところ、

それは、高橋源一郎の本だったのですが、

(彼は、世界を知ろうとし続け、その上で自分はどうあるべきかを模索

 し続ける一人です。)

とあるアメリカの風刺漫画家のことが書かれていました。

 

ロバート・クラムという人です。

僕も初めて目にする名前でした。

 

彼の事を評して、高橋源一郎は

クラムには「知性」があった。

「知性」は、考えるときにではなく、

考える前にある。

 

それは、なにかを見ることのできる力、

「視力」なのかもしれない。

 

だから、(見ることのできない)

他のだれよりも「速い」のである。

 

 

「作者さん」て、こういうひとなのではないか、

と思ってしまうのです。

 

僕が知らない、

もしくは知ったところで出来ない、

「違う別のやり方」

を知っているのではないだろうか。

 

何のやり方かって言えば、

自分も世界も救っちゃうやり方なんですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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