今井町公民館 ー「ミチコオノ日記」読者集会所ー

旧称:「ミチコオノ日記」読者日記もしくは私的ファンサイト

開設にあたって

「ミチコオノ日記」からの直接リンクでお越しの皆さんへ

私こと(id:Nagi1995)が「私的ファンサイト」として立ちあげたこのブログは、現在ではさまざまな曲折を経て共同編集体制にもとづく「読者集会所」となっています。「開設にあたって」と題したこの文章は、現在のブログ趣旨からは多少離れたものになっていますので、リアルタイムで「ミチコオノ日記」とつながってゆくことをご希望の皆さんは、下記の「ファンサイトの共同運営化に向けた提案」という記事からまずお読み下さい。なお、何回か誤解を受けているので予め強調させておいてもらいますと、このブログは「ミチコオノ日記」作者の人の「自作自演」では断じてありませんし、私自身がその作者の人の「回し者」であるわけでもありません。作者の人と私、そしてその他の編集メンバーの皆さんとの「信頼関係」のみにもとづいて成立している「読者集会所」です。多くの皆さんの新たな参加をお待ちしております。(2017.11.30.ナギ)
nagi1995.hatenadiary.com






(以下は、ナギが 2017.10.16.に書いた文章です)


…という感じで、私はいまだに何が起こったのか、また起こっているのか、理解できずにいる。

id:fukaumimixschoolさんのブログ「ミチコオノ日記」との衝撃の出会いから、一週間がたとうとしている。それは私にとって「今までに1度も読んだことのないタイプの読み物」だった。

出会ったきっかけについては、自分のブログ「華氏65度の冬」で既述してあるので、ここでは繰り返さない。だがその第一印象については、記憶がハッキリしているうちに書き残しておく必要があると思う。さもなければ記憶というものは、いとも簡単に改竄されてしまう。

自分が「ミチコオノ日記」に10人しか読者がいなかった時代にその存在を知ったという事実は、将来において、例えばロバート・ジョンソンと会ったことがあるとか、ビートルズを初めて見たのは彼らがハンブルクで演奏している現場に居合わせた時だったとか、井上陽水のことなら彼がアンドレ・カンドレと名乗っていた時代から知っているとか、間違いなくそういうのと同じレベルで「人からうらやましがられること」になるはずだと私は思っている。そういう時代が来た時に、極めて調子に乗りやすい性格をしている私は、自分自身があんまり覚えていないのをいいことに「美化された伝説」をデッチあげてしまうのではないかという予感が、今から否めない。そういう誘惑は、今からキッチリ断ち切っておかねばならないと思う。

そもそも私は、ハタチを過ぎてからの自分がかつてなかったほどにハラハラドキドキしながらその次の回を待っている「ミチコオノ日記」というものが、一体「何」であるのかということさえ、出会って6日目の現在(執筆時)の時点では、いまいちよく呑み込めていない。大切なのは、「自分にそういう季節があったことを忘れない」ことだろう。作品の世界に「慣れて」しまうと、最初に見た時にあれだけ「衝撃」だったことが、いい意味でも悪い意味でも「そこに存在していることが当たり前」の感覚に変わってしまう。だから「第一印象」を実直に記録しておくことは、後々になって自分自身の「反省」のためにも、きっと役立つ意味を持つ。

その意味では私にとっての本当の「第一印象」は、2017年10月10日の午前3時頃、ジョン・レノンの「Working Class Hero」の翻訳に挑戦した自分のブログ記事に、「ミチコオノ日記」の作者の人から唐突に星がつけられた時のあの「ねずみ色のアイコン」の印象から語り起こさねばならないことになるだろう。最初は、何が描いてあるのか分からなかった。画像を拡大してみて、筆を握った女の人が「お前を観察しつくしてやる」みたいな不敵な目付きでこちらを睨んでいる絵であることが分かり、何だか、アナドれなさそうな人だという印象を、私は受けた。

初めての人から星をもらった時にいつもそうするごとく、私はその「ねずみ色のアイコンの人」のブログを、見に行った。「ミチコオノ日記」という名前のそのブログには「ねずみ色のアイコンの人」の姿はなく、代わりにおっさんだか女の子だか分からないような顔をした木彫りの人形がアイコンに飾られていた。正直私は、不気味だと思った。その人形には鼻がなく、その顔が反逆者に対する刑罰として江戸時代まで行われていたという「鼻そぎの刑」を連想させたのが、一番大きな理由だったかもしれない。

ブログタイトルの下には、「美術部 書道部の部長の日記」とあった。中学生か高校生のブログなのだろうかと思った。「今どきジョンレノンが好きな10代の人」がこんな真夜中に自分のブログを見に来てくれたのだとすれば、ありがたい話だと私は思った。つまりその時点までは、「本当の日記」だと思っていたということである。

そのとき一番新しい記事だったのが「第13話 オノとジン」だった。タイトルの文字の左には、アイコンのおっさんだか女の子だかが左を向いている手描きの絵がアイキャッチ画像として添えられていた。「横を向いたら鼻があるんじゃないか」というのが、私が最初に思ったことだった。

自分の記憶を順を追って正確に再現できるのはここまでである。

画像の間にまばらに文字の並んだ長い長いスクロールを、上から下まで、あっと言う間に読み終えた。正直、わけがわからなかった。わけがわからないけれど、自分はいま何か「すごいもの」を見たという強烈な実感があった。

気になるブログ書きの人を見つけた時にはいつもそうするごとく、私は「ミチコオノ日記」を第1回目にさかのぼって初めから読んでみることにした。13回目だったからさかのぼるのは簡単だったけど、何百も記事を書いているようなブログ書きさんの場合、途中であきらめて読むこと自体を放棄してしまう場合もままある。(その場合でも最低「ブログ名+第一回」で検索するぐらいの努力は怠っていないことは、いちおう付記しておく)。どこの業者のものでも基本的に「新しい順にしか読むことができない」このブログというもののシステムが私は本当に不満で、自分のブログの記事数が20を越えた時にまずやったことは、「記事を古い順に表示するインデックス」を自作することだった。(今も続いている「はじめての方へ」という記事です)。記事を更新するたびにその「目次」まで更新しなければならないため、めんどくさくて仕方ないのだが、早い段階で作っておいて良かったと今では思っている。後から思いついてそういうのを作ろうと思っても、絶対に作業が膨大になるから、断念せざるを得ないだろうと思う。特に「続きもの」のブログをやっている人たちには必要不可欠なのが「目次」だと思うのだけど、自分と同じことをやってるような人を他に見つけることができないのが私には不思議で仕方ない。

それは、余談である。

第1話の「ティーちゃ と 嵐」は、極めて短いお話だった。主人公のオノさんが「ひとりになった」ところから話が始まって、私は「生きている人間が誰も出てこないポエム」を読んだような気がした。オノさんがおっさんなのか少女なのかも、その時点ではまだ自分には判断がつかなかった。第1話では「絵」ではなく「木彫りの人形」が主人公で、その人形が極めておっさん体型をしていたからである。どちらかと言えば「おっさんが少女の気持ちになりきって書いた文章」なのかもしれないといった感覚の方が、強かったかもしれない。(それがわずか6日後の今日になって見直してみると、最初はあれほどおっさん的に見えたオノさんの人形が「オノさんにしか見えなくなって」いる。オノさんのキャラクターというものが6日間のあいだに自分の中にしっかり根を下ろした結果だと思われるわけだが、それにしても人間の印象というのはこんなに簡単に変わってしまうのだという事実が、改めて恐ろしく感じられる)

第2話から始まったのは、「思い出の話」だった。ここでも出てくる人たちは、みんな遺影の中の人みたいに見えた。何だかこのブログはこのまま最後まで「思い出の話」が続いてゆくのだろうな、という感じがした。

それからしばらくそんな気持ちで、読み流していた。言っちゃあ何だが、この時点ではまだ、まともに読んではいなかった。ほとんど絵だけを眺めていて、文字はろくに頭に入っていなかったと思う。

何となく「思ってたのと違う感じになってきた」気がしたのは、第6話で「だっちゅーの」が出てきたあたりだったかもしれない。最初は「出オチ」みたいな印象だったキャラクターの人たちが、気がつけば回をまたいで2回3回と登場していて、「このブログの中の時間はいつの間に動き出したのだろう」と思った。最初は1話1話が「時間の止まった世界の話」みたいに思えていたのだった。

第8話まで来て、初めて同じ話を2回読んだ。そしてこのブログは絵もさることながら、本当に面白いのは「話」の方なのかもしれないとそこで初めて思った。(ただしその時点では、話の内容はまだろくに理解できていない)。ここで誤字らしきものを見つけてコメントを送ったのは、どんな反応を返してくれる人なのか知りたかったからで、「現金」が「厳禁」になっているのに気づいた時にはむしろ人知れずラッキーと思った私であった。ただしそれが「わざとそう書かれている」可能性を、この時点ではかなり感じていた。このブログにおいては全てが「計算されつくしている」ということを、だんだん思い知らされ始めていたからである。

9〜11話がほとんど頭に残っていないのは、おそらく自分の書いたコメントにどんな反応が返って来るだろうということの方が気になっていたからだと思われる。

12話で作者の人が「勝負」をかけてきた感じがしたのは、私にも分かった。ただしこの話には、私は入り込めなかった。途中で出てきた「キチガイ」という言葉が、ショックだったからだった。でもとにかく、読み進んでみようとは思った。

そしてようやく、自分が最初に読んだ第13話まで戻ってきた。さっきはとにかくわけが分からなかったけど、今度は良くわかるようにじっくり読んでみようと思った。

ところがいざじっくり読んでみようとすると、このブログの言葉は実は頭に入ってくるまでものすごく時間がかかる言葉だったのだということに気づかされた。理由は、そばに絵があることも大きいのだと思う。字を読んでいるつもりなのにいつの間にか絵を見ていて、書かれている内容には上の空になっていた、といったようなことが、気を抜くたびに起こるのである。こんな不思議な「文体」は、生まれて初めてだった。(ということにさえ、第13話を「2回目」に読む時まで気づかなかったことが、今となってはとても奇妙に思える)。ジンくんの「商売」がどういう内容のことなのかということも、鉄棒の女の子たちが何をしていたのかということも、ちゃんと理解できるまでにはかなりの時間がかかった。そしてそれがようやく理解できた時、「自分がいま読んでいるのは何てスゴい話なのだろう」と私は心の底から舌を巻いた。

そして「いいものを読ませてもらいました」という気持ちを込めて、グリーンスターをつけた。ちなみにグリーンスターは、ブログを始めた時に10ヶと3ヶ月目の時に10ヶ「プレゼント」されて、現在私の手持ちは8ヶなのだが、こういう時に使わなくていつ使うのだ、と思った。あと、「夏の特別お題」というので記事を書いた時にレッドスターをふたつプレゼントされて持っていたのだが、それは現在使い果たしている。

それにつけてもカラースターって、人からもらった星を自分が使えるような仕組みになっていたらすごく面白いと思うのに、なぜそうなっていないのだろう。ちなみに現状、そういう「プレゼント」以外でカラースターを手に入れる方法は、「カネを出して買うこと」だけである。なんやそれしょーもない、と思う。

「ミチコオノ日記」のプロフィール欄には、「姉妹ブログのバレエ·モッシュピット大関いずみ作品集もあわせてご覧下さい」と書いてあったので、翌日ヒマだった私は検索でそれを見つけて、全部見た。そして冒頭に掲げた「ドロップキックのお姉さん」の絵を、いたく気に入った。その時点で両ブログに掲載されていた作品はすべて10月5日に投稿されたものだったが、この人の仕事量はどれだけ膨大なのだ、と私はひたすら驚嘆した。

そしてその翌日に公開された第14話「たまたま と たまたま」を読み終えた時、私は「ミチコオノ日記」の世界に、完全にはまりこんでいた。

最初の方では、「映像部のみなさん」の作品が次々に公開される。その一本分一本分のアイデアだけでも優にブログ一話分になりうる内容なのに、それらが効果音的に惜しげもなく使い流されてゆくさまを見て、私はこのブログの「見えないところ」に注ぎ込まれたエネルギー量はどれだけ底知れないのだろうと、まるで世界で一番深い井戸でものぞき込んだような気がした。

真ん中には猫力さんの歌が出てくる。これにしたってブログ全体のテーマソングになるとかならまだしも、一話分のエピソードのために歌をイチから作ってしまえる人って、いるだろうか。テレビドラマみたいにそれを大勢で作っているならそういうことも可能かもしれないが、たった1人でそれをやれてしまう人って、いるだろうか。しかもその表現媒体は文字と絵だけなのに、この歌からはちゃんと「メロディ」が聞こえてくる。

そして最後の最後にオノさんのこの笑顔が飛び出した時、14回目のその瞬間に至るまでそれを「とっておいた」作者の人の深謀遠慮に、心底サブイボが出る思いがした。(関西の人間は基本的に「鳥肌が立つ」という言葉は、使わない。その方がホメ言葉としてより適当であることが頭では分かっていても、何か違和感があって、使えない)



それまで私は、このブログに綴られていることは作者の人のその日その日に感じたことなどがミチコオノさんという人に託して綴られた文字通りの「日記」なのだと思っていたのだったが、そうではなく、先の先まで綿密に組み立てられた物語を今まで自分は読んできたのであり、14話目に至ってようやくその「プロローグ」が終わり、これからいよいよ本当の「物語」が始まるのだということが、とりあえず、理解できた。そして同時に、オノさんをはじめとしたすべての登場人物の顔が、いっぺんに血の通った生き生きとした顔に見え始めた。

最新の第15話に関しては、コメント欄で作者の人の「総スカン食らうと思っていた」とか「事故回」だとか、1種の賭けのような意味が込められたエピソードだったという趣旨の発言が散見されたが、読み終えた自分自身の印象からすれば、どこに「総スカンを食らう」ような要素があったのか今のところ全くわからない。私が感じたのは、「プロローグ」はまだ終わっていなかったのだという驚きであり、物語は「ひとりでなくなったオノさん」のこれから始まる毎日として一気に具体的に回転しはじめるのだろうという予感が、爆発寸前の火薬を見るように生々しく押し寄せてきた。と言うよりもこの回はひとつの「爆発」そのものだったのかもしれない。作者の人が本当に満を期して、トランプタワーの一番上の三角形を置くような気持ちで送り出した回だったのだということを、私は感じた。ただし物語はこれで「完成した」どころか、これからやっと「始まる」のである。本当に何てスゴイものをいま自分は読んでいるのだろうと、私は思う。

ただし私自身は今現在の時点で、この「日記」のストーリーや一人一人の登場人物の人間像というものが、まだほとんど頭に入っていない。

理由は上述したように、絵だけを見ているとこのブログは本当に「速く」読めるし、それはそれで読み方として間違いではないのだろうけど、文字に書かれている言葉をひとつひとつ受け止めようとすると、本当に時間がかかるような「仕組み」になっているからである。

整理しておくなら「ひとりでなくなったオノさんの物語」がいよいよ開始されようとしている今のうちにしておかなければ、ひとつの話に70枚もの絵を使いきる作者の人のスピードについて行けず、いろんな形で「損」をするのではないかと思う。

そう思ってこれまでのストーリーや登場人物のまとめを自分のために作ろうと思ったのだったが、ふと考えたのはそういうことこそ作者の人が一番「知りたい」と思っていることなのではないだろうかということだった。およそブログを書く人が常に知りたいと思っていることは、「自分の書いたものはどんな風に受け止められているのか」ということである。ましてこの「ミチコオノ日記」は創作であり、作者の人がおそらく自分自身を描こうとしている物語だと思う。自分を描こうとしている人には必ず、「鏡」の存在が必要なのだ。

コメント欄に毎回感じたことを書き込んでゆくというのも、アリなのだろうが、私自身はあまり人のブログのコメント欄の常連になるようなことは、好きではない。毎回毎回書いていると、何か他にコメントしようとしている人がコメントしにくい雰囲気を作ってしまうし、何よりも作者の人に気を使わせてしまうのが、好きではない。そう考えて、自分の感想や読書メモは、自分のブログを新しく作ってそこにつづってゆくことにしようと思った。それがつまりは、このブログの開設の趣旨である。

ブログという形をとる以上、ここに書かれたことは必然的に作者の人にも伝わることになるわけだが、作者の人はこのブログの存在に対し、全く気を使わないで下さって構わない。作品に対し分からないことや疑問に思うことなど、いろいろ書くことになると思うが、それにいちいち答えなければならないとかそういうことは、全然考えて頂かなくていいし、むしろ放っておいてもらった上で「ミチコオノ日記」本編の中でどんどんこちらの思い込みや解釈を裏切るようなことを書いて頂ければ、読者の喜びとしてこれにまさることはない。ノーコメントを貫こうと判断されるならそれはそれでいいのだし、何か書いてやろうという気持ちになって下さったなら気が向いた時に「にゃにゃにゃにゃにゃ」とかテキトーなことでもコメントして頂ければそれで充分である。また私と同じく「ミチコオノ日記」の愛読者である他のブログ書きの皆さんに対しても、読んでもらえるかスルーしようと判断されるかは、全く問わない。これは私が私自身の趣味で始めた個人的なブログである。

スタイルとしては「ミチコオノ日記」の新しいエピソードが発表されるたびごとに、第一印象や読み込んだ上での感想、そして感じたことや疑問に思ったことをメモして行くという形をとりたい。従ってこのブログは必然的に「同じ記事が何回も何回も更新される」性格のものになってゆくと思う。

物語の進行に追いつくためには、まず第1話から第15話までの読者メモを、大急ぎで完成させてしまうより他にない。(「読書メモ」という言い方の方が自然だと思うけど、「書」じゃないでしょ?でもって「読ブログメモ」ってのも、変でしょ?)。あんまり「開設の趣旨」みたいなことを、長々とくっちゃべっているヒマはない。うかうかしていると第16話が出てしまう。

というわけで読みたい人だけ読んで、一緒に考えたりビックリしたり笑ったり泣いたりしてください。ここはひとつの「遊び場」なのです。

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