今井町公民館 ー「ミチコオノ日記」読者集会所ー

旧称:「ミチコオノ日記」読者日記もしくは私的ファンサイト

想像を呼び込む絵、フィルターを外す絵

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〈文〉高岡ヨシ

〈絵〉ミチコオノ

 

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何かを書き表す時、皆さんの内側には何がありますか?

 

詩でも小説でも、自分は頭の中の映像ありきで書いてきました。

自分の過去を書く時も、想像上の街で起こった事柄を書く時も、浮かんだイメージを動かして、そこで目にしたものを言葉にしてきました。

 

それが自分のスタイルでしたし、強みだと信じてきたのです。

 

事あるごとに触れていますが、自分はミチコオノ氏の世界と出会ってから、今まで飛び込んでこなかった想像を得られるようになりました。

言うなれば、新しいタイプの映像です。

 

心を突く画風、過去を連れてくるタッチ、時間を掴んでくる表情、そういったものを飲み込んで得た刺激が開けた事のない引き出しの中身を見せてくれるのだと、そう考えていました。

 

でも、それは、違っていました。

 

今回、自分は下の絵を使わせてもらい、会話劇を書きました。

 

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この話を書き終えた時、自分はずっとモヤモヤと湧いていた想いの答えを見付ける事が出来たのです。

 

この絵を見た時に、自分の頭に飛び込んできたものは、キズでした。

赤い傘を持つ女性の右腕にある長さ30cmのキズ、それが印象深く現れたのです。

 

その次は赤と白。

その2色にまつわるイメージが湧き、「伝統」そして「相殺」という言葉が出てきました。

そうなった時点で、後ろにいるバットを持った男性が、女性の持つ赤を断つために追いかける役所になり、1つの儀式(初めて交わる男女の女性が赤い傘を持ち、男性が硬い棒でその赤を叩く)が成立したのです。

 

当初の予定では、バットを持って追いかける男性は気弱な性格だったのですが、それでは話が進まず、仕方がないので、設定を180度変えて強面にしたところ流れに乗り、それぞれの映像がポコポコ浮かんで、絵に描かれていない3人目の女性が入り込んできました。

この3人目の顔が過去と繋がり、話が復讐劇となったのです。

 

〈復讐劇〉

 

自分が浮かぶ映像のみで話を書いていた時には、きっと選ばなかったであろう結末。

今まで生きてきた過去の経験から、自分はなるべく登場人物が報われる作品ばかりを書いてきました。

中には細かい暴力描写や精神を圧迫する表現もありましたが、自分が受けてきたもの、そこから感じたものを書き表すのに必要な場合のみ、使用してきました。

自分の作品は常にハッピーエンドを迎える訳ではありませんし、キラッキラな世界で埋め尽くされている訳でもありません。

ただ、どんな事があっても、プラスマイナス、最終的にはちょっとプラスだ、という詩や物語を書いてきましたし、頭の中の映像もそこで落ち着いていました。

 

今でも、その思考は変わりません。

 

ただ、ミチコオノ氏と出会ってから、浮かぶ映像に変化が出始めました。

 

氏の絵を使わせてもらうようになってから、とても強く揺るがないイメージが飛び込んでくるようになったのです。

 

例えば下の絵:

 

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この絵を見た時に、「七日後」という言葉と保健室の場面が現れました。

そして、部屋にある机の引き出しには、ハサミで切られたお守りが置かれていたのです。

 

消えることのない映像。

 

チャンネルを変えようとしても、画像は揺るがず、スクリーンに張り付いたまま。

どうプラスに持って行こうとしても、浮かぶイメージが強すぎて色を足せない。

逆に、何も変えようとせず、出てきたままに泳がすと、その映像はスムーズに流れました。

 

このままにしよう、このまま流されよう。

 

そう、思えました。

 

野球の絵では「七日後」と「保健室」。

傘とバットの絵では「キズ」と「紅白」と「復讐」。

 

決して揺るがない映像、決して譲らないストーリーが、そこにありました。

 

ミチコオノ氏の絵からは、意思に近い何かを感じます。

それが例え、自分の決め付けや勘違いだとしても、なるべく避けようとしていたものを引き出します。

 

もう充分だと思い、目を背けていた感情。

報ってやりたいと願い、蓋をしていた想い。

 

それらの正体が、今までずっと消えなかった怒りや恨みといった負の要素だったとしても、無理に矯正せず、そのままをそのままで出すという形を、氏の描く絵を通して受け入れることが出来ました。

 

とにかく自由に、好きなようにやる。

 

ミチコオノ氏の作品に触れた時、真っ先に感じた想いはそれでした。

 

氏と出会って口にするようになった実の正体、それは、フィルターを通さないで見る映像なのだと気付けた夜でした。

 

 

絵を元にした会話劇のリンクを以下に貼らして頂きます。

よろしければ、読んでやって下さい。

 

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