今井町公民館 ー「ミチコオノ日記」読者集会所ー

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「夜の湖」第一印象と感想 (ナギ)


11ぴきのねこ 4/4 / 6:33〜

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昔ばなしのあいつのように
詞·曲 小椋佳



昔ばなしのあいつのように



魔法の刀を持ってたら



火を吐く竜も怖くない



刀ひとふり七つの首は



七つの海に飛び散って



小さな蛇に変わるだろう



誰か教えてくれないか



魔法の刀のあるところ



昔ばなしのように



昔ばなしのように






私はハッキリ言って左翼なもので、「王様が倒される話」で「王様の側」に感情移入するということが、どうしてもできない。それはどんな時代のどんな状況下であっても、「悲しむべきこと」ではなく「よろこぶべきこと」ではないかとしか思えないからである。

アウリンが「私は破壊の女神になってしまった」と口にする場面についても、「破壊の女神でいいではないか」としか思えない。「王国の崩壊」については嘆けるのに、自分が自分の手で殺すことを選んだ龍のためには嘆かないというのは理屈が通らない。もとより、自分の暴力が「傷つけたくない人」を傷つけてしまうことは、悔恨の理由にはなるだろう。でも、それはあらゆる「暴力」について回ることであり、「暴力」を選んだ以上は最後まで責任をとってみせろとしか私には言いようがない。時と場合によって暴力は確かに「必要」なものなのだから。

しかしこんなのは「理屈」であって「感想」ではない。こういう寓話的な話に対して素直に「感想」を述べるのは、私みたいな人間にとってとても難しいことなのだ。とはいえそれは私に限ったことではなく、「現実」の中に深々と組み込まれて生きている人間である限り、こういう作品に対してはなかなか言葉が出てこないのが普通だと思う。

代わりに、と言うべきなのだろうか。アウリンの夢の話の場面で自然と頭の中を回り出したのが、子どもの頃に大好きだった「11ぴきのねこ」の映画に出てくる、上に紹介した歌だった。そして「11ぴきのねこ」という作品についても、私は「素直に感想を言えない子ども」だったことを思い出した。11ぴきのねこが大きな魚を「倒して食べる」というその行為が、「いいこと」だったのか「悪いこと」だったのかをどうしても判断できなかったからである。そしてそのことは、オトナになった今でもやっぱり分からない。

「ミチコオノ日記」の作者の人は、そういうことを考えない人だからこういう作品を描けるのだろうか。それとも人一倍よく考えている人だからこそ描けるのだろうか。それも私には分からない。ただ言えるのは私にはこういう「おはなし」は書けないだろうということだけで、そのことにむしろコンプレックスを感じているということである。


11ぴきのねこ 1/4


映画版の「11ぴきのねこ」では、とらねこたいしょうの声を郷ひろみが宛てています。見たことのない皆さんには、いきなり上の動画を見るのではなくぜひ最初から通して見てほしいです。また井上ひさしの脚本によって舞台化された「11ぴきのねこ」は、絵本よりも映画よりもいっそう「感想が言いにくい」作品になっているのですが、もしも見たことのある方がいらっしゃったら、自分のことは棚に上げて、ぜひ感想を聞いてみたいです。ではまたいずれ。

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